'Back to the past': インタビュー (2001年5月28日)
(Mars Up-Oneに掲載されたオリジナルのフランス語版をThe MSX Games Boxが英訳し、それをVORCが日本語訳したものです。

The MSX Games BoxのフィルとMars Up-Oneのベノワ・デルボが、'80年代にサクラメント (USA) のコナミで働いていたあるエンジニアにインタビューを行い…サウンド・カスタム・チップ (S.C.C.) のエンジニアリングと、コナミMSX時代後期のほとんどのゲームにそれが組み込まれたことについて語り合いました。守秘義務があるため彼の名前は明かせません。

The MSX Games Box: コナミでの地位と、そこで何に関わっていたかを教えていただけますか?

コナミの研究開発部門で働くことができたのは本当に幸いでした。私はカリフォルニア州サクラメントに本拠を置く彼らのMSX部門に約10ヶ月在籍しました。本当に好条件な出来事が何度も重なった結果、思いがけなくその機会が訪れたのです。ここで一部始終をお話しましょう…。1985年、ハイスクール4年 (14歳) のとき、私は数学の先生にコンピューターの手ほどきを受けました。そして、教師たちのデータやその勤務時間などを入力したクロステーブル用の、表計算プログラムの解析を頼まれたのです。そのプログラムは教師毎の授業スケジュールを決めるためのものでした。まずいことに、それは、同じ時間に同じ教師を、間違ってふたつのクラスに割り当てたりしていたので - バグをつきとめてほしいとお願いされたわけです…。もし問題を修正することができたら「古い」MSX, フィリップスのVG-5000を貰える約束になりました。で、私はやってのけました!

新しくMSXを手に入れて、私はパリの二軒のショップ (ひとつはムベー・エレクトロニック、もうひとつはなんていったか思い出せないのですが、ガール・ドゥ・リヨンの近くにありました) でソフトを買うようになり、「MSXニュース」を予約購読するようになり…。私はこのマシンでかなり遊んで、BASICとZ80の機械語でミニゲームやショートプログラムを作るようになりました。同じ時期 (1987年中頃) 、私はコナミのMSX用ゲームのベータテスターになりました (アメリカの友人の父親が、サウス・カリフォルニアにあるコナミの研究室の室長だったのです)。

1987年、私はコナミのMSX2用ゲームのベータテスターとなる訓練に参加し、S.C.C.カートリッジに関する意見をはじめて提出しました。その後、スペインやフランス、ベルギーで暗躍するクラッカーや海賊版への対策を研究するチームへの参加を持ちかけられます。やるべきことは、クラッカーに対するいっそうの安全性を提供できるように、フランスの友人たちとソフトをクラックすることでした。コナミの開発したセキュリティのクラックに成功すれば報酬が得られるという奇妙な状況のうちにこれは終了しました。最終的に、彼らが私たちよりもうまくやれるようにです!

MSX規格がクラックに対し大きく不利だった点は、開発にどのマシンを使っていようと、ソフトの動作は旧バージョンおよびMSX全機種で保証しなければならないことでした (後でお話しする「フック」テーブルの存在もこのことで説明できます) 。

こういったすべてのことが、のちに私がS.C.C.プロジェクトに取りかかる布石となったのです。「クラック対策」の一年間ののち、コナミは連動して売上を伸ばし、グラディウス2、沙羅漫蛇、エルギーザの封印、ゴーファーの野望エピソードII、F1スピリットなどが登場する頃には海賊版も減少しました。

私はそれから6年間コナミと共同で仕事しました。1988年の最初から1992年にフランスに戻るまで、海賊版問題に続いてS.C.C.に取り組むべく、コナミの研究に協力しました。その後1993年に10ヶ月間アメリカに戻り「ディスク・パックス」シリーズに少し協力したのですが、マイクロソフトとの特別機密保持協定に署名したので、これ以上はお話しできません。現在はある多国籍企業で働いていて、依然著作権侵害問題を扱っています。

1989年から、時代は急速に流れました。当時私はアーケードで使用されたコイン (1FF[フランス・フラン], 2FF, 5FF, 10FF) の数を分析し、中央サーバーにデータを転送するプログラムの構想を練っていました。そこにはコナミのゲームがたくさんありましたからね。そういうアーケード筐体のコインを計算し、収支報告書を確立したり、ゲームの成功度を調べる…というより現金箱を空にする時期を調べるのに、なにが使われていたと思いますか?

そう、MSXなんです!!!

この構想を展開したおかげで、私はいまでも誰かがこういう筐体 (とパーキング・メーターにも!) にコインを入れるごとに、1%の収入を得ているのです。

 

Mars Up-One: S.C.C.マイクロチップが開発されたのは、(PSGと比べて) 音質を向上させるためでしょうか、それともソフトウェア・カートリッジの著作権侵害に対抗するためでしょうか?

PSGより音質を良くするべく開発されました。ところで、クラックしたゲームを同じ音質で鳴らそうと思えば、S.C.C.カートリッジは一本あれば足りるのです。S.C.C.カートリッジのブート・コネクタにスイッチ・ボタンを取りつければ十分です。MSXの電源を入れてすぐに、S.C.C. カートリッジをしっかり挿入するという方法もあります。

しかしS.C.C.のサウンドを再現する方法にこれ以上踏み込むのは止めておきましょう。S.C.C.マイクロチップを自分で「配置」して、ROMからではなく、RAMの特定の位置から S.C.C.に音楽を読み込ませるようにするためには、フックテーブルの内容を理解する必要があります。フックテーブルは、RAM中にそのコピーを見つけることができます。

フックテーブル: MSXの世代によらず、どのMSXでも同じ場所に位置するアドレス範囲で、RAM(またはROM)の特定の位置にジャンプする命令が書き込まれています。 MSXをカートリッジから起動する際に、フックテーブルは、カートリッジのブートプログラムによって全体が書き換えられます。

S.C.C.カートリッジの場合は、サウンドをPSGに接続するために予約されているフックテーブルの一部が、いずれかのカートリッジスロットにあるS.C.C.マイクロチップにサウンドをリダイレクトする命令に置き換えられます。命令の書き換えは単純に "POKE &Hxxxx,y" とするだけでできます。

「ベータテスト」に続いて、友人たちとこの事実をコナミ研究開発部門の責任者に話しました。私たちはただちに雇用されることになったのです!

 

Mars Up-One: 私に間違いがなければ、S.C.C.チップはサウンド・プロセッサであるだけでなく、ゲームの16KBブロックを処理するメモリマッパーでもありますが…。ハイエンド機であるMSX2で使用されるメモリマッパーとの相互関係はどのようなものでしたか?

これに関しては何もお答えできません。コナミおよびマイクロソフトとの機密保持協定がありますので。ですが、それはいい質問です。

 

The MSX Games Box: S.C.C.を製作するにあたっての主要な問題点は何でしたか? コナミはMSX以外のプロジェクトのことを想定していましたか?

S.C.C.を大規模開発するにあたって、ソニー・コーポレーションの存在が大きく立ちはだかりました。競争は過熱しており、砂上の楼閣のようなプロジェクトに取り組む危険はあまりにも大きなものでした (MSX規格はクラッカーにより甚大な損害を被っており、ヨーロッパには正規版カートリッジより半年早くクラックされたゲームが到着する始末でした。このせいでフランスのMSX規格は滅びたのです)。

そしてMSX2+の登場は遅きに失し、世間はすでに「Arlésienne」、つまりMSX3を話題にしていました。唯一の雑誌「MSXニュース」の名称が「マイクロニュース」に変更されたことで、フランスの熱心なMSXユーザーはほぼ全員、MSX規格の終焉を確信しました。これに続いてショップ「シャラントン」も惜しまれつつ閉店しました。

 

The MSX Games Box: 1988年当時のコナミの戦略についてお話しいただけますか? 彼らはすでにMSXを古ぼけたコンピューターと見なしていたのでしょうか?

MSX規格を対象にした「アセンブリ言語におけるゲーム・プログラミングのテクニック」(原題: "Techniques de programmation des jeux en Assembleurs") が出版されたことで、フックテーブルのベクターを横取りする方法はどんな若者でも学べるものになりました。その結果彼らは独自のプログラムを開発し、他人のものをクラックすることができるようになったのです。

1988年、コナミは若手プログラマのチームにS.C.C.サウンドチップを使って3.5" フロッピー用のゲームやデモを開発するよう要請しました。これが「ディスク・ステーション」や「ディスク・パック」シリーズを生む要因となったのです。しかしその開発はFM-PACが現れるまでのわずかな期間しか続きませんでした。私はこのときのゲームやデモを今でもいくつか持っています…それらはジャケット付きで流通し、送料はコナミが負担しました。

実のところ、私は「シャロム」以降MSXのゲームを見ていません。

1993年から私たちはコナミの新プロジェクトに配属されることになり、私は遠いフランスまで戻ってあらゆる仕事を引き継ぎました。折にふれて日本から1〜2本のカートリッジが届きましたが、それ以外にもスペインから届くクラック済みのゲームも受け取っていました。私はカートリッジのクラックを続けていたのですが、おかげで失敗せずにすみ、「海賊版のコピーはすでにこちらに存在しているから、テスト用にカートリッジを送ってくるのはもはや無意味だ」と伝えるためにクラック版をサクラメントに送りました。その後コナミはヨーロッパのMSXシーンから撤退します。

 

Mars Up-One: サウンドの水準についてですが、S.C.C.サウンドチップはより緻密なFM-PACカートリッジへ進む第一段階として考案された、ということはあり得るでしょうか?

まったく余談ですが「コピーが出回った」ことはありますね。

 

Mars Up-One: 同じ発想でありながら、コナミはSCC+をサウンド研究の最終的な到達点としたようですね? もっといえば、FM-PACを開発する道を選んだパナソニックと比べて、コナミは常に独力で進むことを潔しとしていた、ということになるでしょうか?

コナミはパナソニックに共同研究を申し出たことがありましたが、ハードウェアの開発に関しては問題が山積みでした。S.C.C.はオーディオ方面の独自開発を強力に推進していたソニー・コーポレーションの対抗馬となるものでした (ソニーの技術はFM-PACに一部実装されています)。ですから、彼らはこの共同開発を中止させようと干渉してきたのです。

 

Mars Up-One: 奇妙かもしれませんが、反対に、独立したカートリッジとして商品化されたFM-PACについて質問させてください。なぜS.C.C.やS.C.C.+チップは、ゲームから切り離されて単独の商品にならなかったのでしょうか?

コナミが追求していたのは常に面白いゲームであって、ハードウェアではなかったから、というのがひとつ。もうひとつは、このプロジェクトがFM-PACのサポーター、すなわちソニー・コーポレーションをはじめとする陣営との衝突を招くかもしれなかったからです。また一方、コナミが行った市場調査で、このプロジェクトを高いコストパフォーマンスで実現するのは資金的に困難だということが発覚しました。MSXだけでもすでに競争を勝ち抜くことが大変だったなか、同時進行でそれに投資するのはリスクが大きすぎたのです。

 

The MSX Games Box: MSXはアメリカで販売されずに終わりましたが、これには何か特別な理由があるとお考えですか?

アミガ500とアタリ520ST、その直後にアミガ1000とアタリ1040STがアメリカ市場に登場していました。忘れないでいただきたいのは、これらがMSXよりやや高価だったため、ディストリビューターのマージンもそのぶん良かったということです。実際、ヨーロッパに浸透した規格機が合衆国で販売されずに終わったのは、まさに金銭面の事情からでした。しかしもっと重要なのは、先に述べたように、海賊版の作成が極めて容易だったことです。非常に残念なことです。

 

Mars Up-One: コナミ、アスキー、パナソニックの関係はいつも最高でしたか?

パナソニックはS.C.C.の開発者たちを優秀な人材として欲しがったことがありました。彼らは私にもコンタクトしてきましたが、その頃はホームシックでフランスに帰りたいと思っていたのです。

アスキーに関していえば、コナミだけでなくMSXの製造メーカーとも常に素晴らしい関係を保っている会社でした (フィリップスはたぶん例外です。彼らから見ると、フィリップスはややヨーロッパ寄りすぎていたので、重視されていませんでした)。

 

The MSX Games Box: 昨年4月にアスキーがMSXの復活を提案しましたが、これについてはどのようにお考えですか?

私には、お話したようなMSX規格の死にあらがう術はありません。それが蘇るかもしれないと知って驚いていますが、私はまだTurbo-Rを見たことがなく、コナミがベータテスト用に送ってくるのは90年代初頭からPCとコンシューマ機のソフトばかりだったということを言っておかなければなりませんね。プレイステーションとPCのメタルギア・ソリッドをテストする機会もあったのですが、オフィシャル版より先にクラック版がフランスに存在していたと知って嫌悪感を覚えました。

ところで、なぜまた復活するかもしれないなどという話になるのですか? MSX規格が死んだのなら、墓の中にそっとしておいてやってください! もっとも、PCを買おうかコンシューマ機を買おうか迷っている人にとって、MSXがちょうどよい選択肢になりえたことは理解していますよ。

 

The MSX Games Box: コナミがこの新プロジェクトに興味を持つ可能性はあるでしょうか?

うーん、彼らは装い新たになっていますからね。10年前からの古いチームともコンタクトを取っていましたが、私にはフランスでの顧問になってほしいといって接触してきたのですよ。



インタビュー終


日本語版補足:

翻訳: Hally (http://www.vorc.org/)